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Cinema Review

ミュンヘン | Munich (2005)



4.7/5.0

パレスチナの過激派組織「黒い9月」によってイスラエルのオリンピアン達が殺害されたミュンヘンオリンピック事件 (1972年) と、それに対する報復に関わったイスラエルの諜報組織モサドの人物達を描く、実際の悲劇に基づいたサスペンス映画。

イスラエルと関連が深いユダヤにルーツをもつ巨匠スティーヴン・スピルバーグが監督を担い、エリック・バナやダニエル・クレイグが出演している。

ヤヌス・カミンスキー撮影による1970年代の空気感の再現や、ジョン・ウィリアムズによるテーマ曲の重く哀しい旋律が素晴らしい。


映画やドラマに登場するスパイといえば、ワクワクする展開や痛快なアクション、ハイテクガジェットとクールなファッションといったイメージがされがちだが、この映画におけるモサドのスパイ達の描かれ方は全く違う。

お金の無駄遣いはするなと本部に叱られたり、中途半端な知識で製造した爆弾が想定外の規模で大爆発してしまったり、ターゲット以外の人物を巻き込みそうになり慌てて走り回ったり、弱気になったり、でも自分達の判断では報復を中止できなかったり… その不格好さに圧倒的なリアリティを感じる。

しかしながらその報復行為の結果は思わず息が詰まるほど容赦なく、こんな普通の人々にこれほど残虐なことができるのかと恐怖を感じるほどの凄まじさがある。


主人公達が属するモサドの暗殺チームも、モサドの報復のターゲットであるパレスチナ側の人間達も、強烈な動機と使命感によって殺人を行うことを除けば、社会に溶け込み平穏に過ごす一般人と何も変わらない。

その演出があるからこそ、なぜこんな悲劇が実際に起きてしまったのか、なぜ殺し合わずにいられなかったのかという悲しみの読後感が残る。


スピルバーグと主人公の視点は当然ながらイスラエル側に拠っているが、パレスチナの行為をただ批判しイスラエルの正当性を訴えるといったプロパガンダ的な偏りはなく、モサドの報復は本当に正義だったといえるのか、どちらが正義でどちらが悪だといった二元論で断定的に世界を見ることは危険ではないかと感じる脚本になっている。

あまりにも過酷で残酷なミッションを通して、主人公が次第に正気を失っていき、目の前に実在する生と同時に幻視する死のイメージが交錯する終盤のシーンが象徴的。


何よりも胸が苦しくなったシーンは、主人公がある人物を自宅に招き、夕食をとろうと誘う終劇直前のシーンだ。

考え方に相違があり、分かり合えないと感じる相手であっても、平和に食事をとりながら対話をすることはできるはず。

怒りと憎しみによる報復を繰り返すだけでなく、対話を続けることで見いだせる新たな道があるはず…

その主人公の申し出に対する相手の表情と返答、そしてラストショットで遠くに映し出される、ニューヨークを象徴する2棟のビル。

人類は未だ、人種や思想の違いに起因する憎悪の連鎖を断ち切れるほどには成熟していない。


誰もが認めるであろう映画の天才スピルバーグによる今作の重厚な演出に、ケチをつけるようなところは存在しない。

個人的には、スピルバーグがこれまで形にしてきた戦争映画「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」に比肩する傑作だと感じる。

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Auther:

Shoji Taniguchi | 谷口 昇司

Creative Director

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美術大学にて映像を中心に学び

現在はマーケティング業界で働き中

映画やドラマを観ている時間が幸せ

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