デッドプール & ウルヴァリン | Deadpool & Wolverine (2024)
4.3/5.0
製作が発表されて以来、公開日を楽しみに待ちわびていたので、公開初日に観賞した。
端的にこの作品を総括するならば、これまで20世紀FOXが製作・配給してきたMARVELヒーロー映画作品群への、ブラックジョークと血反吐と敬意にあふれた鎮魂歌あるいは救済であり、過ぎ去った時代を永く記憶にとどめるための、記念碑のような作品だ。
デッドプールを主人公とする映画作品は、1・2作目までは20世紀FOXが製作・配給してきたが、同社がその後ディズニーに買収され、3作目の今作はディズニー傘下のマーベル・スタジオの製作、ディズニーの配給となっている。
デッドプールという作品ならではの暴力描写と下品な言葉遣いにまみれた世界観が、ディズニーという超優等生的な企業の配給に変わることでトーンダウンするのではという声が多くあったが、そんな心配は全く不要だったというか、むしろ3作目の今作がシリーズ中最も過激かも知れない。
表現の過激さという観点に限っては、この作品はディズニー史上最高レベルだろう。
デッドプールが他のMARVELヒーローと比較して最も独特な点は、舞台用語でいうところの「第四の壁 (4th Wall) = 劇中世界と客席の間にある不可視の壁」を認識し、それを越える能力を持つところ。
つまり劇中のデッドプールは、観賞者である我々が生活する「こちらの世界」を把握していることはもちろん、我々に話しかけることもできるし、自身が主人公を担う映画を製作していたFOXがディズニーに買収されて… といったメタな事情まで認知しているという、極めてユニークなキャラクターとなっている。
そのユニークネスは、主演だけでなく製作や脚本にもクレジットされているライアン・レイノルズのそれとほぼ同じであるともいえる。
劇中でデッドプールが発している言葉がほぼそのまま、ハリウッドという巨大な映画産業の事情に翻弄されながら奮闘してきたライアン・レイノルズの本音のようにも聞こえ、文字通りの意味で映画やドラマの世界を飛び越える力を帯びた、辛辣かつ下品なジョークにまみれながらも純粋なメッセージになっている。
2008年の「アイアンマン」から始まったマーベル・スタジオの画期的な挑戦でもある、それぞれの作品が独立的に製作されながらも横断的にひとつの世界観を共有するという「マーベル・シネマティック・ユニバース (MCU)」シリーズのひとつに、この「デッドプール & ウルヴァリン」も属している。
物語を単独作品として成立させることは当然でありながら、十数年に及ぶ映画やドラマで展開されてきたMCUの歴史や設定と、非MCU扱いとなっていた20世紀FOX時代のMARVELヒーロー映画作品群の歴史や遺産の両方を、ひとつの脚本に組み込み融合させるという離れ業に挑戦しており、少なからず粗はありながらもそれに成功していたところには感嘆した。
近年のMCUで展開中の「マルチバース = 近似した並行宇宙が多数存在する」という設定は、その複雑さと何でもあり過ぎる部分で賛否両論が起きているが、今作においてはその設定を巧みに利用しながら、可能な限りこれまでの作品群との矛盾を少なくする形でまとめられていたように思う。
とはいえ、時系列を中心とする細かい部分の矛盾や疑問が皆無とはいえず、FOX時代とMCUの両方のMARVEL作品を観賞してきた自分としては、どうしても辻褄が合わず破綻しているのでは感じてしまう部分もいくつかあった。
…などと思いながら観賞していたら、劇中にてデッドプールが「マルチバースは複雑過ぎて限界だ、最近のMARVELはめちゃ失敗してる」といった内容をわめき散らしていて、そんなところまであけすけに言っちゃうのかよと感じながら共感してしまい、笑いを我慢できなかった。
物語の核とまではなっていなかったものの、カメオ出演といった言葉を遥かに越えるレベルで、MARVELコミックを原作としてこれまで製作されてきた、あるいは事情により製作されなかった数々のヒーロー映画からのゲストキャラクター達が次々と登場し、活躍したり全然活躍しなかったりするので、MARVELの古参ファンにとっては近年なかなかなかった興奮と感動が味わえることだろう。
特に、ある超有名俳優とその俳優が演じていたキャラクターへの愛が強過ぎるゆえのはちゃめちゃに雑な扱い方が最高に痛烈で、鑑賞中に何度も声を出して笑ってしまった。
2024年現在のコミック原作ヒーロー映画 / ドラマは、深く考えずに単品を楽しむことも可能ではあるが、細かい部分も含めた全部のニュアンスを理解することは相当に難しくなってしまっている。
MCUとFOXのMARVEL映画+ドラマの両方と、映画やドラマ世界の外で起きていた企業間の買収騒動等も含め、長く追いかけてきたディープなファンでなければついていけないような前段知識が必要な点が、観賞の敷居を高くしてしまっていることは間違いない。
並行世界の接続を実現するという今作の離れ業な脚本によって、FOX時代の遺産をMCUの世界へ組み込みつつもある程度の歴史的決着をみることに成功していたようには感じるが、それは同時にますます今後の作品の複雑化を招くことにもなるだろう。
それが今後のMCUにとって本当にいいことなのかどうかは、今の自分には分からない。
ただ、MCUの未来のことはさておき、デッドプールが劇中で大切にしていた写真の中の9人の家族と同じように、ライアン・レイノルズにとってのFOX時代のMARVELヒーロー映画は「世間がどう思うかはさておき、自分にとっては永遠にかけがえのない宝物なんだ」というメッセージは、自分を含む多くの人の心を打つことだろう。